無時間性

昔話の登場人物には、肉体的にも精神的にも奥行きがありません。立体的な人間として描いていないのです。周囲の環境も語らないし、その人の履歴も語りません。先祖や子孫との関係も語られません。そもそも「時間」との関係がないのです。

たとえば、「いばら姫」(グリム童話)で、主人公はつむに指をさされたとたん、百年の眠りに落ちます。そして、百年目に王子がキスをしたとたん、目をさまします。目をさましたとき、姫は何歳ですか? そうです、15歳です。百年の年月は、主人公の外見に何の変化も与えていません。服装などの風俗も社会もすべて百年前のままであり同時に百年後の今なのです。ふたりは下におりると結婚式をあげます。まるで百年の眠りなどなかったかのように、ごく当たり前に。

リアルに考えたら、お姫さまは115歳だし、115歳のお姫さまと王子が結婚するなんてこと、考えられないよね。時間的奥行きを持たないおひめさまと、時間的奥行きを持たない王子さまが、同じ平面上にいるんだ。

ところが同じ場面を写実的な小説で描写すればどうなるでしょう。ペローの「眠りの森の美女」と読み比べてみてください。

 リュティ先生いわく

「平面的な昔話の世界には時間の次元も欠けている。たしかに昔話のなかには若者もいれば老人もいる。(略)ところがしだいに年をとっていく人間は昔話には存在しない」

これを昔話の無時間性といいます。
時間が「省略されている」のではありません。時間という次元が「ない」のです。
 
魔法で眠らされていたあとでも、おおかみのお腹にのみこまれていたあとでも、主人公は苦境時代の痕跡を全く残していません。「かえるの王さま」(グリム童話)では、蛙はいきなり美しい王子に変身し、蛙的なものは何も残っていません。そしてお姫さまは、さっきまで蛙だった男とよろこんで結婚します。
時間的な奥行きがなく、眠る―目覚める、といった「ことがら」が時間を無視して同一平面上に並べられるのです。蛙になる―王子になる、呪いにかかる―呪いがとける、等々・・・。
 
そして、昔話における魔法は、けっして先祖から子孫にまで影響を及ぼすことはありません。いばら姫にかけられた呪いは、とかれるとそれでおしまい。子孫に影響はありません。蛙だった王子の子孫にときどき蛙があらわれるなんてこともありません。伝説ならば、いばら姫のつむが呪いのつむとして、子々孫々秘密の部屋に厳重にしまっておかれるかもしれませんね。
 
さて、時間の経過がないので、あらゆる変化は一瞬にして起きます。徐々に育ったリ、少しずつ衰えたりしないのです。とても機械的です。具体例で説明しましょう

昔話は、このように時間を語らないことによって、ストーリーを先へ先へと進めていきます。ストーリーの行き着く先は満足な結末、つまり主人公の幸せです。それは、主人公である聞き手の求める結末でもあるのです。

子どもは主人公が幸せになることだけに心を集中させて聴いているものね。語り手はそれに応えるべく語っているんだ。それに、一瞬にして生きかえったり目が見えたりすると、とってもわくわくする。

3 thoughts on “ 無時間性

  1. 「かえるの王さま」のお姫さまのように、話の最初では金のまりを投げて遊ぶ幼児のようなのに、つぎの日には結婚するくらいの年齢の大人になっているのも、無時間性でしょうか?
    話の最後は、中途半端な幸せの表現では幸せになった感じがしないので、やっぱり結婚してほしいです。
    聞き手は子どもだから、主人公も子どもで共感しやすく、無時間制という語法の説明で、子どもが結婚するのではなくて、主人公が幸せな結婚するという納得できる結末になるんですね。
    でも、お話会で「子どもが結婚するの?」なんて聞かれたことありませんし、大人のわたしが引っかかってるだけなんでしょうね(笑)

  2. 子どもが娘に成長する時間的過程を語らないという点では、無時間性っていってもいいのかな。
    ヨーロッパの昔話における主人公の幸せは、富の獲得、身の安全、結婚の三つでしたよね。だから、最後に血痕が来て、幸せになりましたって落ち着くのかな。
    それと、幼い子でも、性的憧れはあるわけで、それが成就することは、実際に幸せ感があるんだと思います。

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